エスケイプ
(ここまで、来ればひとまず安心だ)
ある夜、アパートの一室で一人の男が胸を撫で下ろした。
だが、男は部屋の住人ではない。
近くのコンビニで万引きを働いた後、発見した店員に追いかけられ、命からがらこのアパートに潜伏した、いわば犯罪者だ。
(後は警戒が解けるのを待つだけだ。それにしても無用心な住人だな)
幸運にも玄関には鍵が掛かっていなかった。駆け込んだときは無我夢中だったため気が付かなかったが、あらためて室内に目を向けると何やら様子がおかしい。明かりが点いていないためはっきりしないが、荒らされたような形跡がある。
男は音を立てないように室内に入り、一番窓側の部屋を覗いた。
その瞬間、男は目を疑った。仰向けに倒れた女性の姿が見えた。
その首筋には何やら紐のようなものが巻かれ、天井を見つめたまま微動だにしない。
(お、女の死体?)
男は今すぐにでもこの部屋を飛び出したい衝動に駆られた。
だが、寸でのところで思い留まった。万一、見つかってしまえば窃盗罪、住居侵入罪、どころか殺人容疑者になってしまう。とにかく落ち着いて行動することが先決だ。
そのとき、電話の呼び出し音が静かな部屋に鳴り響いた。男は再び動揺した。
RRRRRRR、RRRRRR、RRRRRR、ガチャ
「○○です。ただいま外出しております。御用の方は発信音の後にメッセージをどうぞ」
留守番機能が作動し、応答メッセージを流れた。やがて、男の声が聞こえてきた。
「俺だけどさ、おまえ、部屋にケータイ忘れてったろ。今から持ってってやるよ。あ、そのまま泊まっちゃってもいいだろ。帰るのめんどくさいし。じゃあな」
(おい、おい、ちょっと待てよ)
もう、落ち着いてはいられなかった。こんなところで鉢合わせになってしまえば、今度こそ逃げ切れない。コンビニの万引きで出頭すれば、まだやり直しがきくだろう。
男は覚悟を決めて、部屋を後にした。
しばらくして、部屋の住人が帰ってきた。一人暮らしをしている服飾の専門校生だ。
「あ、いけない。また鍵を掛けずに出掛けちゃった。今朝、課題の作品を持っていくのに、相当慌ててたからな」
そのとき、電話機のディスプレイが点滅しているのに気づき、ボタンを押して留守番メッセージを聞いた。
「え、これから来るの? まいったな。部屋の中、片付けなきゃ」
彼女は首にメジャーが絡まったマネキンを引き起こした。

Photo by HALTO
| 固定リンク | コメント (1) | トラックバック (0)



最近のコメント